● 足助のむかし話 ● 

むかーし、むかし。足助の里に一升釜をさげた白髪の老人が現れました。

村人たちの相談を聞きながら、その老人は携えてたお釜でご飯を炊いてふるまったそうです。

ただ、いくら炊いても、お釜の中のご飯は尽きることはなかったそうです。

不思議に思った村人が尋ねると「わしはここから三十里離れた山に住む平八稲荷である」と言って老人は去っていったそうです。

 

江戸時代になり、徳川家康を支えた本多忠勝のひ孫である足助の領主本多忠周の夢枕にその老人が現れ、「わしは平八稲荷である。これから足助の村人たちを助け守るのであれば力を貸そう。我が釜を祀られよ」と話したそうです。

それから忠周はお釜を探し出して、陣屋の庭に大切に祀ったそうです。

その後、明治の初めに領主であった本多家が足助を去った際に陣屋から足助山へと移されました。

今ある場所へは昭和30年に山から下りてきました。 

 ● コンセプト ●

 足助町の魅力である宿場町として栄えた面影を今に残す古い町並みは、先人たちが培ってきたことが継承されて現代につながっております。
その思いとクラシックカーを大切にして楽しみ次世代に引き継ぐ精神は同じです。
孔子の教えである「温故知新」と松尾芭蕉が掲げた「不易流行」は、どちらも古いものを大事にする精神ですが、古から新しいことを知るのと古から新しい変化を取り入れるという意味合いで少し違いますが、私たちはその二つの言葉を基本理念としています。
伝統ある美しい町並みとクラシックカーを体感して先人への尊敬心を育み、足助とクラシックカーを愛する友人たちとともに、次世代を担う子供たちに伝えていこうと考えます。